過去の経験を経験と思わずゼロから学ぶつもりで入所

 声優を目指して専門学校に入学した僕でしたが、卒業時にプロダクション所属は叶わず、TVゲーム会社の下請けでアルバイトを始めました。 そこで電話応対やちょっとしたボイス収録といった声を使う業務に携わるうちに、声優への想いを再確認して、養成所に進むことを決断しました。 『シグマ・セブン声優養成所』を選んだのは、専門学校の友人がここで順調にステップアップしていたから。「あいつが結果を残せるなら、チョロいプロダクションだ」って(笑)。

 そんな失礼な印象を持ちつつ、「過去に自分がやってたことなんてどうでもいい。ここでゼロから学ぶ」という決意で臨みました。 経験者に交じって学んだ専門学校時代、「結局、経験の有無ではなく、現在どんなパフォーマンスを見せられるかが大切なんだ」と痛感したおかげです。 また、恋愛やアルバイトに比重を置き過ぎて目標を見失い、才能があるのに挫折していった人がたくさんいたから、「プロになって死ぬまで声優を続ける」 という大目標を掲げて自分を律することも誓いました。それこそ「これが最後のチャンス!」ととらえて必死でした。

レッスンで大事なのは先生の意図を理解すること

 入所前の『シグマ・セブン』の印象は、「有名な声優が所属しているけど、若者に人気の作品でメインを張る人は少ないな」って程度の浅い認識でした。 僕が教えを受けた飯塚昭三さんや野島昭生さんも、番組は見ていたけど「声優のおじさん」という感覚。素人って怖いですね(笑)。 とはいえ、当時から『シグマ・セブン』の養成所の売りであった「現場にバリバリ出ている声優に直接教えてもらえる」という環境の恩恵をたくさん味わいました。 先生方の言葉や指導には説得力があって、自分の未熟さに気づかされてばかり。

 例えば、簡単な台本読みひとつ取っても、先生に「わからない部分はあるか?」と尋ねられて「ありません」と応じたのに、 いざ状況や心情を質問されると答えられない部分が次々と出てきました。 それは「聞いたことがあるけど、真意にいたっていない」という、「なんとなく」知った気になっていただけ。 先生のおっしゃる「わからない部分」に秘められた真意に気づけず、「自分には、物事の本質まで知ろうとする姿勢が足りなかったんだ」と反省させられました。

 レッスンは先生の指示に盲目的に従うのではなく、意図を理解して実行するほうが遥かに身になります。 また、先生の言葉を受け入れる素直な心と、違うものの見方をする姿勢を兼ね備え、自分だけの一方通行な視線にとらわれ過ぎないことも重要だと思います。

 なんて、偉そうなことをいっているけど、こうしたことに気がつけたのはプロになってから(苦笑)。レッスン中は、わからないことだらけでした。

養成所は「上手にやる」のではなく「自分の可能性を示す」場所

 僕はレッスン生時代より、所属後のほうが大きな不安を抱いたことを覚えています。 養成所での2年目には、幸運なことに番組レギュラーで現場に出ることとなり、プロとの実力差に愕然としました。 「養成所内でできるなんて満足していたら、これ以上進歩しない」と姿勢を正すキッカケになったものの、一気に成長できるわけはなく、学ぶほど未熟さがわかりました。 でも、卒所時に所属が叶った。その際、「『シグマ・セブン』は僕のどこを評価したんだ?」と自問自答。そこでいたった結論が「可能性」です。

 当然ながら、養成所を2年経験しても、プロレベルになれる者はそう多くないでしょう。 では、プロダクション側は何を判断材料にレッスン生を受け入れるのかというと、「こいつは今後伸びる見込みがありそうだな」と思えるかどうかではないかと思うんです。 例えば、養成所で100点満点中80点を取り続けることは確かにスゴイけど、養成所内の80点なんてプロの世界では10点以下。 プロになってそれを続けられても困りますよね。 それより、ときに200点を叩き出す人材のほうが将来性を感じるのではないでしょうか。 きっと当時の僕は、何かの瞬間にいつもの自分を超えたパフォーマンスができて、そこを認めていただいたのだと思います。

 「可能性を示す」というのはプロの世界も同じ。単にいただいた役を上手にこなすのではなく、スタッフや視聴者の方々に 「面白い役者だ」「もっと何か秘めていそうだ」と感じてもらえることが、新たなチャンスをもたらします。「自分の可能性を示し続ける」のが、声優の一生だと考えています。

『シグマ・セブン』を変えてやる!くらいの気概を持った人材を待っています

 声優は将来の保証がないリスクの大きな世界です。親御さんに反対されることもあるでしょう。それはギャンブルのような生き方を心底心配しているから。 僕も猛反対されました。でも、子供の人生は子供のもの。僕は好きなことに邁進するのが幸せだったから、反対を押し切って専門学校に入学しました。 何かを手にするならば、何かを犠牲にする必要が出てきます。「親を尊重する気持ち」と「自分の夢」を天秤にかけ、どちらに傾くか……。 僕は「自分の夢」が勝ったので、初めて自分の意思をはっきり示して貫き通しました。ただ、親の心配を無下にするのならば、結果を残すしかない。それが一番の親孝行だと思います。

 そして、夢に対して「好き」という強い気持ちがあれば、技術は二の次。僕自身、専門学校時代の成績表を見直してみたら、ひどいものでした。 我ながら、よくこれで夢を諦めなかったし、プロになれたものだとビックリ(笑)。約四半世紀声優を続けてこられたのも、その「好き」があったから。 表現することの面白さと、自分が必要とされること、その期待に応えられた充足感は何ものにも代えがたい。それが進歩に繋がります。もちろん、辛いことや苦労もあります。 その壁を乗り越えられるかが、「アマチュア」で終わるのか「プロフェッショナル」になれるのかの境目ではないでしょうか。

 また、養成所はあくまで通過点です。だから、「養成所内でトップになる」といった狭い世界の競争意識にとらわれないで欲しい。 まずは自分と向き合う。そして、やるべきことをやる強い意志と取り組みを維持し、「できるもの」と「できないもの」を自分自身で「把握する」ことが大事だと思います。

 養成所では「うまくやる」といった意識は持たず、「表現すること」「踏み込むこと」に集中し、「振り切った芝居」や「演じる役の心情や状況への理解」を心掛けてください。 芝居の上手下手を判断するのは受け手で、演者は「いい芝居」を追求するだけ。むしろ「うまくやる」のは芝居ではなく「人間関係」です(笑)。 芝居はチームワークが重要ですし、芸能界は上下関係に厳格な体育会系ですから。

 かつて「『シグマ・セブン』=ナレーション」というイメージが強かったのですが、現在は僕から見るとよくいえば「オールマイティ」、悪くいえば「個性不足」かな。 個々のタレントの力で保ててはいるけど、プロダクションとしてそこに頼り過ぎているきらいがあるのではと危惧しています。 現役レッスン生や入所希望者は、「いまのプロダクションに尖った部分がないのなら、自分が特定の分野の仕事をガンガン取って、そのイメージを変えてやる!」くらいの気概を持ってくれたら嬉しいですね。

 ただし、これらはあくまで僕個人の意見。鵜呑みにすることなく、自ら決断してください。