『シグマ・セブン声優養成所』の日々は私にとってまさに青春!
一般公募のオーディションを受けて声優を目指していた高校時代、単発のお仕事などもいただき始めたとき知り合った業界の方に「一度ちゃんと学んでみたら」と『シグマ・セブン声優養成所』を勧めていただきました。そこで「勧められたのも何かの縁だ」とすぐに入所を決めました。
でも、いざ入所してみると、引っ込み思案の私は1クラス約20人が一緒に学ぶ養成所の環境が怖くて怖くて……。例えば、レッスンで「誰かできる人はいる?」と発表を求められると、最初は気配を殺し、ほかの人の発表でおおまかな傾向が見えてきてからオズオズと手をあげていました。ズルいですよね(笑)。そんな思惑は大ベテランの飯塚昭三先生にはお見通しで、「おまえはいつも人の後ろに隠れてるな」ってすぐ指摘されてしまいました。以来、自分の臆病な心に鞭打ってレッスンでは一番前に座り、率先して発表するように心掛けていました。
また、「一緒に学ぶレッスン生は競争相手。友達をつくるところではない!」とお世話になっていたプロデューサーさんからいわれていて、それが苦しくもありました。そんな私を変えてくれたのが、養成所で毎年行われている夏合宿。同世代の子と海でワイワイ遊んで美味しい物を食べてたくさん笑って……気付いたら友達になってました(笑)。
そこからの日々は、まさに「青春」という感じ。レッスン後は、友達と夕方から夜遅くまで夢や演劇論をぶつけ合っていましたね。人はひとりでいると、置かれている立場や目標がわからなくなるもので、養成所仲間と遠慮なく話したり、互いを評価し合う関係性はすごく大事。一緒に舞台をつくる生涯の親友ができたし、いまだに連絡を取り合うくらい親密な人もいっぱいいます。
改めて振り返ると、養成所は私にとってスキルを磨くばかりでなく、人間形成の場でもありました。闘争心や競争も必要だけど、人とのコミュニケーションのほうがもっと大事だと思います。
いまも先生の指導がパッと思い出される瞬間がたくさん
養成所で受けた先生の指導は、いまさらながら思い当たることがたくさんあって、かつての自分が恥ずかしくなります。あるとき舞台演劇のレッスンで別役実作品に取り組んだ際、「今のセリフなんで言ったの?」と聞かれ、「え!? 普通に言いました!」と返したら先生にすごく呆れられました。当時はその理由がよくわかりませんでしたが、無意識に使う日常の言語はどんな些細なことでもすべて目的があって、なぜその言葉を発したのか、誰をどうしたくて話したのかを理解しないと台詞は言えない、ということがいまならばわかります。
また、ナレーションのレッスンでは、丁寧に文章の構造を叩きこまれました。内容は難しいしもちろんなかなかできないしで泣きそうでしたが、それから十数年経ち、原稿に目を通すと「あれ? 日本語の文章の組み立てが考えなくてもすぐにわかる!」と、学んだことが後々急にできたりする経験も味わいました。
さらに、声の収録では状況を把握し、指示に的確に応えるといった「瞬発力」が求められます。わからないからといって、戸惑ったり躊躇している余裕はありません。演技に限らない多様なカリキュラムで、その「瞬発力」を鍛えていただきました。
先生の指導がパッと思い出されるのは、心のなかで密かに燃えていた「種火」が大きく燃え上がるような感覚で、仕事をするうえですごく助けられています。
所属した直後は足元の地面が消えたような感覚
晴れて声優になれても、続けていくのはもっと大変です。昨日まで先生や仲間に支えられながらレッスンに励んでいたのに、所属を境にして、並み居る先輩声優に交じって競い合う生活がスタートします。プロダクションがサポートしてくれるとはいえ、黙っていて仕事がもらえるわけではありません。私は所属直後、足元の地面が急に消えた感覚を覚え、「私はまだ学びきっていない」「現場に出られる準備もできていないのに、レッスンで何を聞いていたのだろう……」と、不安に押しつぶされそうでした。そこで、養成所のスタッフの方に「レッスンを見学させてほしい」とお願いしたら、「もう養成所は君のいる場所じゃない。見学するならば現場にしなさい」とピシッと叱られ、自分の甘さを知りました。一種のホームシックに陥り、しばらく養成所の近くを通っただけで「もうあそこへは帰れないんだ……」と涙があふれた記憶があります。
『シグマ・セブン声優養成所』のように、たくさんのことを1か所で学べる場はすごく貴重です。現役レッスン生の皆さんは、「いまは自由に成長していい時期だよ」と猶予をもらっているのだから、その環境を前のめりに楽しんで「やりきった」といえるくらいにいろいろとチャレンジしてみてほしいなって。私の場合、養成所時代は結果を求め過ぎて、野島昭生先生に「とにかくいち早く、現場に対応できるように芝居がうまくなりたいんです!」と訴えたところ、「おまえは焦り過ぎ。演技は一朝一夕では上達しないから、声優を続けていくつもりならばいまは視野を広げなさい」と諭されました。当時は「そんな暇ないよ!」と不満を抱きましたが、もし私がレッスン生の自分に会えたら、やっぱり野島先生と同じことを助言すると思います。演技に近道はないので、自分であれこれ道を探しながらウロウロすることがいずれ宝物になると思います。
「好き」を忘れずに闘争心と調和のバランスを取って
私の声優の道は、まず「演技することが好き」という気持ちが発端で、養成所、プロと進むうちに「芝居を褒められて嬉しい」、「仕事が楽しい」、「みなさんに喜んでもらえることが幸せ」と徐々に変化し、いまは改めて「好き」という感情に立ち返りました。長く声優を続けている方は、この「好き」が人一倍強いと感じます。声優志望の方も「好き」だからこの道を選ぶと思いますが、その想いをどうか忘れないでほしいです。カリキュラムが多彩なだけに、苦手なこともきっとでてくるでしょう。私は芝居や台詞読みのレッスンはワクワクしていた一方、歌やダンスはどうしてもうまくできなくて、養成所への足取りが重かったですね(笑)。でも、苦手なことって『星の王子様』(著:サン=テグジュペリ)のバラだと思うのです。作中、王子は数あるバラのなかで、自分が手塩にかけて育てたバラが世界一尊いと気付きます。それと同じく、人は時間と労力をかけたものに愛着を感じる生き物なのではないのかと。苦手なことにぶつかったら避けたり嘆いたりするのではなく、むしろいっそう時間と力を注ぐ。すると、きっと自然と好きになり、より深く知りたい欲求がわいてきて、楽しくなって、気付けばできるようになっていると思います。
また、声優に限らずすべての芸事がそうだと考えているのですが、「闘争心」と「調和」のバランスが大事だと感じます。常に選別され続ける世界で生きるには、自分を奮い立たせる闘志が必要ですが、ギラギラし過ぎるとチームワークを乱してしまいます。逆に、人の和ばかりに意識が行っても、自分を殺すことになって本来持っているその人のよさが出ないかもしれません。どっちに傾き過ぎてもダメ。私は最近、「もう少し闘争心を思い出そう」と意識しています。闘争心といっても「誰にも負けない!」みたいな、他人と競うだけが闘争心ではないですよね。「昨日の自分」を乗り越えようとするチャレンジ精神も、立派な闘争心だと思います。