『シグマ・セブン』オーディションの受験は、ちょっとした力試し感覚でした

 子どもの時に所属していたプロダクションは中学生までの年齢制限があったことから、高校入学を機に芸能界から身を引きました。そして、学生生活を送りながら、改めて自分のやりたいことを模索した結果、思いいたったのが「声優」です。かつて様々な種類のお仕事に携わらせていただいたなかで、とくに声優が印象深かったという理由があります。そこで、声優について調べていた際、偶然『シグマ・セブン』の所属オーディションを発見! 当時は力試しのような気楽な感覚で受けて、その年は最終的に合格しませんでしたが、審査後に『シグマ・セブン声優養成所』を勧めていただいたことから入所を決めました。

 高校2年時に入所して、学校では授業に軽音部活動、放課後は大学進学に向けての塾通い、そして週2~3回の養成所レッスン……と、時間に追われる毎日だったことを鮮明に覚えています。でも、養成所では普通の高校生活では接する機会のない、幅広い年齢の方と性別関係なく交流できることが新鮮でした。同年代だけのコミュニティにいると、どうしても甘えが生まれてしまいますが、プロになって最初に競い合う相手は先輩ばかり。養成所では、そうしたプロの世界の前体験ができました。『シグマ・セブン声優養成所』で学び、学校という閉じた空間では気が付けない「別の自分」を発見できたと思います。

 目の回るような2年間を乗り越えられたことで、いま忙しくても「養成所時代に比べればまだまだ大丈夫」って考えられます(笑)。

養成所の先生方はすっごく厳しくて怖いけど、とっても優しいです

 養成所では、「声優とは?」という心構えや演劇論の指導からはじまって衝撃的でした。レッスンで見聞きするすべてが発見と納得の連続で、新しいことを知る充足感に満ちていました。

 また、先生方は口を揃えて「声優は俳優である」とおっしゃられ、勇気をいただきました。僕は子役時代、実写のお仕事も声のお仕事も区別せず演じていたので、その姿勢が間違っていなかったのだと。ただ、理論と実践は異なるから、知識や理論は骨組みとして吸収し、そこに自分なりの肉付けをしようと心掛けていました。

 個々のレッスンで印象的なのは、まず小幡研二先生のナレーションです。「楽しい文章を楽しく読む」「言葉のひとつひとつに心を籠める」といった、当たり前だけど難しいことに苦労の連続。例えば「特売」に関する原稿を読む際、きちんと意味を理解して立てる言葉を考えないと、特別な安さを表現できず単に「ナレーションっぽく」読んでいるだけになってしまうんです。小幡先生には「意味と心で読む」姿勢、ナレーションの奥深さと魅力を教えていただきました。

 あと、友田美有紀先生のダンスレッスンがとにかくキツかった(笑)。ちょっとでも気を抜くと、先生が「その程度じゃプロとしてやっていけないよ!」って殺し文句で発破をかけるから、プロになりたい僕らはやるしかない。しかも、未熟なのに人前で踊る気恥ずかしさやプレッシャーと戦わなければならず、間違いなく心身双方が鍛えられました。

 養成所の先生方はすっごく厳しくて怖いけど(笑)、とっても優しいんですよ。ダメな部分ははっきりダメと叱り、上達したらちゃんと褒めてくれます。叱られたくなければ、もう自分がやるしかない! 一方、先生の誉め言葉はお世辞ではないから、褒められると大きな自信になります。「先生に褒められたい」というのは、養成所時代の大きなモチベーションでした。

声優界は、よい芝居をできた人だけが存在感を発揮でき、爪痕が残せなければ忘れ去られるのみ

 僕は、すべてのお仕事を楽しくやらせていただき、すばらしい作品や人に出会える幸せを噛みしめています。そのなかで感じる声優の魅力は、なんといっても「どんな存在にもなれる」こと。外見、年齢などにとらわれず、いろいろな世界に入って、多種多様なキャラクターの人生を歩めるのは本当にステキ! 自分らしさを出しつつ、演じるキャラクターの生き様を音に残せるのは大きなやりがいです。

 あと、個人的には「いい芝居をすると評価され、活躍の場が広がっていく」というステップアップがわかりやすいのも、声優のいいところだと考えます。例えば、歌手活動で注目を浴びる声優の方々も、元々アニメ出演などで信頼を得て実績を重ねた結果が実を結んだもの。声優活動すべての中心は「芝居」なはずです。

 それだけに、芝居への評価はとてもシビア。デビュー直後は演技が拙くても、がむしゃらに頑張ったことを認めてもらえますが、後進がデビューすれば程なく「できて当然」「頑張って当然」という立場になっていき、進歩が見られなければそれで打ち止めです。プロの世界では、現場ごとによい芝居をできた人だけが存在感を発揮できて、爪痕が残せなければマイナスの印象すら残らず、ただ忘れ去られるのみ。

 小幡先生は「声優はアスリート」が口癖で、日々の積み重ねの重要性も説いておられましたが、現在改めてその言葉の重みを痛感しています。

何が感性に響くかは人それぞれ。とにかくいろいろ試してください

 『シグマ・セブン声優養成所』は、基礎科1クラスのレッスン生は20名程度。ナレーションのレッスンならば、1コマ内で自分が発表できるのは数分くらいです。自分以外の発表を聞いている時間のほうが圧倒的に長いから、そこを有効に使えるかで上達スピードがまったく変わります。先生から他人へのアドバイスを、いかに自分に当てはめるか……。レッスン生が20人いれば20種類の指摘がありますが、注意深く聞くと、できていない部分は似ているんですよね。そこに気付ければ、先生の言葉すべてが自分へのアドバイスに変わります。

 また、養成所時代は「自分に声優の才能があるのか?」と自問自答することがあると思いますが、僕個人としては「才能」より「センス」こそ大切だと思います。演奏のセンスがないと、すばらしい楽器(声)も宝の持ち腐れ。逆にセンスがあれば、楽器のレベルを超えて活かせるのではないでしょうか。となると、当然センスを磨かなければいけませんが、これが難しい!

 センスを磨く手段として「映画をたくさん見る」とか「本をたくさん読む」などといわれますが、映画を100本見たからといって全員センスがよくなるわけではありません。何が感性に響いてセンス磨きにつながるかは、人それぞれ。とにかくいろいろ試して自分に合う方法を模索してください。そして、喜怒哀楽それぞれの感情が動くポイントを見極め、楽しいときや悲しいときの自分の声を知っておくと、絶対に芝居に生かせます。僕自身、養成所時代に先生から「日常で感情が動かない人は、芝居はできない」といわれ続け、今更ながらその意味を理解して焦って取り組んでいる最中です。

 「理想の声優像」や「自分の声が合う役」みたいなイメージも抱くものですが、それらは結局素人考えに過ぎず、的外れなことも多いんですよね。目標を持つことは大事ですが、「シビアに自分の力を判断する目」でレベルを見定めて「いますべきこと」を考えないと、見当違いの努力で無駄な時間を過ごすことになりかねないと思います。と同時に、自分をポジティブに見る目も備えるのが理想かな。自分を「追い込む」ことと「いじめる」ことは別。「シビアな目」だけでは、きっと自分を「いじめる」だけになって辛いです。